日本海と、美しい湖沼に囲まれた温泉のある新潟県上越市大潟区 そして 夕日が映え 心なごむ潮騒の街

火防地蔵尊

明和2(1765)年の秋のことです。潟町にたどり着いた一人の巡礼の僧がいました。そして去りもしないで数日を送ったある霜の降りた朝、死体となって発見されました。

哀れに思った潟町の人達び街道の一隅に埋葬し碑を建てて弔いました。それがら四、五年後のことです。柿崎町の猿毛の石工が一体の地蔵様を彫刻しました。それは、大変立派な出来栄えでした。

ある夜、地蔵様が石工のまくら元に現れ、「自分の安住の地は、西の方の浜辺にるからそこに移すように。」とお告げになられました。

石工は潟町を訪れ、そのことを話したところ、早速、潟町の人によって地蔵様が運ばれ、巡礼の碑の上に安置しました。

時は過ぎ、文政2(1819)年、潟町で、108軒を全焼する大火事がありました。この火事の前夜、一人の坊さんが、潟町中を「火事があるから気をつけろよー。」と、連呼して走り回っていましたが、いつしか坊さんの姿が消えていました。

   また、火事の中やはり1人の坊さんが、屋根の上で火の粉をかぶりながら、衣を振り回し火を消していましたが、いつしか姿が消えたのでした。その時、誰やらが、「あの坊さんは上町(今の潟町一区)の地蔵様のようだが・・・。」と言いました。人々は半信半疑でお堂へ行ってみたところ、これは不思議なことに、お地蔵様は目にいっぱいの涙をたたえ、全身が黒こげとなっており、その上、かも瓜の種(やけどの薬)が体中にびっしりついておりました。

人々はすっかり感激し、合掌礼拝しました。 以来、防火地蔵尊と呼んで崇拝し、地元の人は毎年四月と九月のお祭礼を怠ることなく努めております。 また祭礼日のみならず、日々お参りに訪れる人々数多く、深く信仰されております。